後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。
愚者は言葉を多くする、 しかし人はだれも後に起ることを知らない。 だれがその身の後に起る事を 告げることができようか。
その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰ってきて、
人はその時を知らない。魚がわざわいの網にかかり、鳥がわなにかかるように、人の子らもわざわいの時が突然彼らに臨む時、それにかかるのである。
その災はたちまち起るからである。 この二つの者からくる滅びをだれが知り得ようか。
だから、あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。
人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。
それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。
しばしばしかられても、 なおかたくなな者は、 たちまち打ち敗られて助かることはない。
順境の日には楽しめ、逆境の日には考えよ。神は人に将来どういう事があるかを、知らせないために、彼とこれとを等しく造られたのである。
ハマンはまた言った、「王妃エステルは酒宴を設けたが、わたしのほかはだれも王と共にこれに臨ませなかった。あすもまたわたしは王と共に王妃に招かれている。
あすのことを誇ってはならない、 一日のうちに何がおこるかを 知ることができないからだ。
わたしはこのすべての事に心を用いて、このすべての事を明らかにしようとした。すなわち正しい者と賢い者、および彼らのわざが、神の手にあることを明らかにしようとした。愛するか憎むかは人にはわからない。彼らの前にあるすべてのことは空である。